パッションフルーツ栽培の最終かつ永遠のテーマとは

肩ひじ張ったタイトルで恐縮致します。私の心の中から湧き出るものを素直に書くとこうなってしまったのです。20140917エドゥリス黄実開花私は、自家不親和性パッションフルーツへの挑戦でもご紹介したとおりに、いろいろな栽培の節目をクリアすることを楽しんできました。最近では、心から良き趣味の大切さを実感しています。
そこには、私の経験を多くの皆様に還元することにより、多くの方と喜びを共有できるかもしれない。という真意があるのです。高い志としてあえて述べれば、”本になるレベル”の濃いコンテンツを提供し、特にパッションフルーツの初心者の方にスムーズに実の美味しさを味わって欲しい。と考えているのです。

パッションフルーツと言えども、特別な植物とは思いません。苗を購入して枯らすことは少ないのではないでしょうか。吸水性と排水性に優れる用土を準備し、適切な肥料を十分に与え、表面が乾いたら水やり。これで十分です。

苗が育つとやがて花芽⇒蕾⇒開花というプロセスを踏み、実が付く準備が完了しますが、ここで良くある失敗は、虫授粉に頼ることにより結実しないということです。パッションフルーツでは、人工授粉することが必要です。”人工授粉”というと仰々しく感じますが、難しいことはなにもありません。

春に小さな苗からスタートした場合には、熟した実の収穫はあまり多くないかもしれません(私の場合、1.8m×2.7mのグリーンカーテンで30個程度でした)。しかし、その実の味を知ると、来年はと、多くの収穫を目指す考えが芽生えるのではないでしょうか。そこで来春は大きな株でスタートダッシュさせ、環境が整った時期に多くの花を咲かせたいと考えるようになります。その手段が冬越しなのです。

大きな株を春に植えつけ、収穫も増えると、株への愛着も増してきます。しかし、それとともに残念ながら株は老化していきます。(もちろん新な苗の購入という選択も有ですが、)ここまでパッションフルーツの栽培を楽しまれてきた多くの方は、繁殖を考えるのではないでしょうか。そこで挿し木をおこないます。タネを撒くという方法もありますが、この場合数年花は咲きません。挿し木の場合には、温度環境さえ整っていれば、2カ月程度で花芽が付きます。

更に、私が実際そうだったのですが、パッションフルーツの知識が増えて来ると、大きい実がなる種を育ててみたいと考えるかもしれません。ただ、大きな実がなる種は自家不親和性種と言って自分や同種の花粉を授粉しても実を付けない種しかないように思うのです。別の株の花粉を授粉するには、開花タイミングのズレが生じることから、花粉提供種の花粉の保存が必要な場合が出てきます。自家不親和性種の実はとても魅力的なのですが、自家不親和性種を結実させるには、そのような部分をクリアする必要があります。
自家不親和性種では、劣勢遺伝が自ずと防止されるというメリットがあります。そのために、収穫できる実にも、サイズだけではない優れた特性が見込めるかもしれません。授粉成功し、自家不親和性種の結実に至った今思うことは、困難を乗り越えただけのリータンは十分にありそうだな。ということです。

(以上の文面に張ったリンク先ページは、パッションフルーツの育て方から収穫に至るまでに、特に皆様のお役に立てるだろうと考えられるものですので、必要なページをご利用ください。)

さて、本題ですが、

私は、人工授粉から自家不親和性種の結実までを経験してきた中で、更なるテーマは?と自問自答してきたのですが、その答えは、”パッションフルーツの新種の作出”なのです。
かなり昔のことを含めれば、学生時代は物理学専攻、企業在籍時にはロボット工学のようなことをしておりましたので、生物学は専門外です。ですから、アカデミックに生物学のメカニズムを語ることはできませんが、物の理をとことん追求という気質はあるつもりですので、まぁ、しつこくやっていきたいです。
“しつこく”と申しますのは、新種の作出とは永遠のテーマではなかろうか?ということから来ています。しかも未だかつてない程に、最も楽しめる最終テーマだろうと思います。

パッションフルーツの種を作るという行為は、結局、”多くのタネを撒く、実を食べてみる”ということに帰結するような気がしています。
挿し木苗の場合には、元株と同じ遺伝子になると思いますから、新種の出現は有り得ないと思うのです。
広義で言う新種とは、異なる種の花粉を交配することにより、その実からは実を付けた株とは一部異なる遺伝子構造を持ったタネが採取され、そのタネを撒いて育った株を、挿し木により増殖・定着させたものを指すのかな?と。
ただ、世間で新種と認められるためには、実のサイズ、味、色、あるいは例えば育成時の株の強耐寒性などでも良いと思いますが、明らかに他と異なる優れた特性が無ければなりません。つまり、世の中が求めるものは、狭義の新種でしょう。
タネを撒き実を食べてみるという行為には、タネを撒いてもその年には開花しないというパッションフルーツの特性から、少なくとも2年を要します。そして、運よく狭義の新種にたどり着いても、タネを撒き、実を食べてみるというサイクルは、次の種を求めて繰り返されるのです。

以上は、生物学をかじってもいない私の邪推なのかもしれません。しかし、間違っていないのは、”種を作ることは最終かつ永遠のテーマ”だということです。


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